親しい人を亡くす、
自分もいつかそちらに行くことを思い出す、
そんなとき、西の空が普段より気になります。
どんなところか知らないしわからないけど、なんかよさそうじゃなかろうか。
なんてことを思います。
仕事柄、人の死をたくさん経験したであろう旧友は、検査結果や自分の体の状態から、どんな状況であるかはよくよくわかっていて、最後に会った時、
「正規分布の端っこの方に位置してしまっただけなんやけどね」と語っていました。
人は誰でも死ぬ、遅いか早いかの違い。
わかってはいるのですが、やはり早くに旅立たれると途轍もなくさみしいものです。
ホリスティック医学を提唱しておられる帯津敬三先生が、治療者は生死という体験を共有する「戦友」であるべし、というようなお話をいつもしてはります。
苦楽を共にし、そして立ち位置を理解してくれる戦友と語るのは心の支えになります。
亡くなった旧友との最後の会話はごく短いものになってしまったけれど、
すごく大きなものを遺していってくれました。
ちょっと生き方がどんくさいとこは私と同じタイプでしたが、それでも人々の味方になりたい、正義のヒーローでありたいと願いつつ人生を過ごした人でした。
私も、正義のヒーローならずとも、皆の「戦友」となれるよう、精進を重ねていきたいと思いました。