自然科学のすばらしさというか恐ろしさというか、この空は「そもそも青い」んじゃなくて、青く見えているだけ、って「事実」に、子供心に、ひえ〜となったもんです。
大げさにいうと、もう何を見ても信じられない!ぐらいに思いました。
その後、大学で網膜の細胞とか視神経とか脳の視覚野とかの話をきいて、なんだそうか、そもそも「見える」ってことが電気信号なのか!と非常に納得・安心しました。(なんとナイーブな)
そもそも視覚も聴覚も嗅覚も、何かの物理化学的なものを人間の感覚野が受け取って、それなりに解釈して意識にあがったりあがらなかったりするもので、外界と生物の相互作用は、一生物である人間が簡単に感じたり解釈したりすることと実際の物理現象とは、大きくかけ離れているんですよね。
生物と生物の相互関係も同じで、なんらかのやり取りをしていて、それが意識にあがってきたりあがってこなかったり、これも単純に「あの人がああだからムカつく」っていうものではなかったりするのが、面白いところです。
そもそも「ムカつく」=嘔気がする=食道や胃が本来の働きと逆行する=本来はありえないはず(と思ってる)もの
ってのが興味深い。
なので、厳密に表現すると、「あの人がああだからムカつく」=「あの人の言っていることを聴神経経由で脳で処理し、あの人の動きを視神経経由でこれまた脳内で処理し、辺縁系や扁桃体等を経た結果、私の消化管の働きが正常の逆を行く、もしくは逆を行くのではないかと思うぐらいの感情が沸き起こるような脳内神経伝達物質の分泌がなされる」なわけですよね。
この説明を脳神経の研究者である友人がみたら、「どこが厳密やねん」と突っ込まれるのは必定ですが、あの人=むかつく という固定観念を外すのには、適宜分解してどこで何が起きているのかなーと検討しようとするのがよいと思っています。
なんとなれば、検討しても何も出てこなくても、そうやって検討し始めるだけで「あの人」からスタートするプロセスが途中から別の方向に行ってしまい、「ムカつく」に着地しにくくなる現象が起きたりもします。
まとめ: 人が知覚し感情で以って反応する事象は絶対的なものでない。むしろ、結構まやかしだらけである。よって、反応プロセスを変更することは意外と可能である。
そんなわけで、固定観念からくる「ありえない」が不調の原因ということは多々あり、そこを解除することで不調が緩和されることがあります。
なんか漢字だらけの文になりました。
当クリニックでは、なんでこうねるになやまされているひとの不調対策をうけおっていますというおはなしでした。