もうじき寒風で吹き飛ばされてしまうのであろう葉っぱさんを見ながら近頃を振り返りました。
ものの捉え方は、必ず相対的なものであることを、この人生で学びました。
周囲から親から教えられた様々な「世界とは世間とはこういうものである」という捉え方、それでうまくいくこともあれば、いかないことも多々あることを知りました。
西洋医学的な考え方のみで素晴らしく事態が好転することもあれば、好転しないこともありました。そんなときに、別軸から考えることでうまくいくこともありました。もちろん、それでもうまくいかないこともありました。まだどうしたらうまくいくのか、見つかっていないこともたくさんあります。
そもそも、人間が不老不死でないからには、「うまくいく」とはなんなのか、病気になる、病気が治るとはなんなのか、そんな話になることもあります。
自分一人の人生では経験値が足りない気がして、人間模様を描いたドラマや映画を好んで見ています。そして、そこからいろいろ考えます。一体、どんな物語が描かれているのかを自分の勝手な基準で類型分類してみました。
「人間はそもそも孤独である」「が、孤独を痛感するとより辛い」「孤独を和らげる何かがあると少しだけ生きやすくなる」
「が何なら孤独になってでももっと大きな何かに挑む」
私が今年見た60本ぐらいの物語系の映画は、この4分類で、だいたい括ることができました。
(シンゴジラがどれに当てはまるかは難しい。ゴジラ視点だと4番目?)
こうしてみると、人間はとにかく「孤独」であるというのがポイントかと思います。
そして、その孤独感とどう折り合いをつけるかで、物語が織り成されていくと。
病気などの何か「困りごと」が発生すると、人はほぼ全員、孤独感が増すと思います。痛みなどダイレクトに辛い症状のみならず、精神的にも孤独になり、辛く感じます。
その辛さを、薬の助けで瞬時に和らげられたら、それはそれはありがたいことです。
そして、以降辛さに見舞われなければ、こんなに素晴らしいことはありません。
問題は、瞬時に和らがなかった時や一旦とれたけどまた出てくる時です。辛さが退かない、辛さが追いかけてくる。うんざりし、嫌になります。なぜ私ばかり、と腹も立ちます。私ばかりということで孤独感も出てきます。
そんな時に、やはり「孤独を和らげる何か」がないと持たないものかと思います。
最終的にたどり着くところは結局、「人間はそもそも孤独である」という地点かもしれません。しかしそこに至るまでの道中を誰かと一緒に行くことはできると思います。
誰かと一緒にいることで孤独が和らぐこともありましょうが、孤独な人が出てくる映画を見ては、「わーこの人もたいがい孤独やなー」と思うのも、和らげる何かになると思います。
別の人生では映画に携わる仕事に就きたかったなあと思うことがある私ですが、いまのようなクリニックという形で人々と関わっていることを、感慨深く感じることがあります。
先日ある方から、「こういう話をするとは、ここは宗教系のクリニックですか?」とご質問いただきました。当然ですが答えはNOで、私は八十八ヶ所を巡るぐらいには信心深いタイプの祖父母がいたものの、自身は特別の信仰はもっておりませんし、持つつもりもありません。また、人に何かを強要したり、勧誘するのも(自分がされるのが嫌いなので)したくありません。一人一人の意志や意向を何より大事にしたいと思っています。
ただ、病というものそのものや人の生き方については、平均的な医者よりも思いをはせる傾向にはあります。その延長で、心理や哲学系統のことも独学ではありますが学生時代からずっと読書してきました。宗教「学」にはそれなりに興味がありますが、一つの宗教に入信することには興味を持ったことがありません。
こう書いていて、子供の頃にテレビでやっていた黒澤明監督の「生きる」という映画に衝撃を受けたことを思い出しました。例によって詳細は覚えていませんが、こういう一市民としての「生き方」も有りだなと思ったような気がします。子供心に刷り込まれたというか、原体験のひとつです。
この文章の行き着く先が見えなくなってきましたが、冬の曇り空の下で考えるには、こういう内容が向いている気がしてきました。1年を振り返ったりするといろいろ思うことが出てきたりもしますが、見た映画について復習したり、孤独感について思いを馳せたりってのは、冬っぽいのでお勧めです。
別の表現をすると、もしこの季節、孤独感を感じたら、「自分は今孤独について実地で研究している」と思うとよいかもです。研究結果はまとまらなくて良いと思います。
さらには同じように研究している仲間がいることに思いが馳せられれば、なおよしです。