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西洋医学の世界ではほぼ話題に上らないのですが、やはり人間も生き物で、天候が体調に間違いなく影響を与えますね。

 

室内の壁や床なども天候の影響を大きく受けるぐらいですから、

人間もなんとなくいろんな意味でぶよっとしたり重量が増したりするという現象は、西洋医学の世界ではあまり話題に上りませんが、まあありうることであろうと思っています。

 

医学部出たての頃の自分は、「そんなわけない!」ぐらいに思っていたかもしれません。

 

昔すぎてほとんど覚えていないのですが、今よりはるかに、人間の機能について「ほっといてもうまくいくもの、うまくいって当たり前なもの、うまくいかないのは壊れちゃったから!」と思っていた気がします。

 

そして、たまに運の悪い人だけが病気になる、リスクファクターとかわかってない病気の方が多いし、遺伝子かなにかが勝手に動き出して病気になるんだよね?ぐらいの感覚でいたような。

 

そうすると、自分の心身なんてまったくもって自分の力の及ぶところでなく、病気になったらその不運を嘆いたり辛い症状や治療にただただ耐えたり運命を呪ったりするしかないんだ…てな認識を持ってたような気が…  

 

ここ最近の感染症に関しても、昔の自分だったら「みんながかかるなら自分もかかるんだ、ああ唯々恐怖」と思っていたかもしれません。

 

しかしながらこの二十余年の間に、私の中でずいぶんと病気との付き合い方が変わりました。

少なくとも自分のことに関しては、ということにとりあえず限定しておきますが

「普通の感染対策は当然する、状況的にウイルスと接する機会はそれなりにあるかもしれないけど、やることやってればおそらくかからないしかかっても重症化しないし、もし重症化したら自分の何かがウイルス増殖に有利だったのだからそこを見直す、それが間に合わなかったら、それもまた人生」

というように捉えています。

 

これは、悪性疾患とかそのほかの病気に対しても原則同じ考え方で接しています。

様々な患者さんはじめ、年齢や生死の関係なく人生の先輩たちから学んだことです。

 

楽観的にもなりすぎず、健診等を受けるときも一喜一憂せず(実際には多少しますけど)、なにより折に触れては自分の人生が有限であることを思い出すことにして、それを踏まえた上で今日をどんな感じで過ごすのが一番心が幸せか、という発想です。

 

 

世の中の諸々、雨に濡れていることで一層美しくみえるときもある気がします。

この花も、奥の方に写っている一所懸命お仕事したり生きておられるのであろう方々も、この一瞬が美しいなあと思います。うまく表現できませんが。

俳句でも詠めれば、うまく言葉にできるのかもしれません…

 

梅雨時の体の重さに使う漢方というのもあるのですが、きっと植物たちが何かしら工夫してこの世の中と折り合おうとして作り出す化学的物質が、人間の体にありがたい形で働くのであろうと想像しています。(ほとんど全く仕組みは解明されていませんが。)

 

何千年と、様々な病と格闘しようと様々な植物動物鉱物の薬としての有り難み、のうまい活用法を研究してこられた先人たちのご苦労をしのびつつ、今日も診療をやっていきたいと思います。