人間界ではいろいろあるけど、
自然は同じ。
城春にして草木深し(杜甫さん)ならぬ
城秋にして木実紅し です。
*ここは二条城 笑
自然だけでも正気でいてくれてよかったです。
人間は時に様々な「狂気」を持つ、
持たされますね。
わかりやすいのでいうと、昔流行った24時間たたかえますか、という宣伝。
実際、24時間働ける人間だけが賞賛され、一人前とされる世の中、そうできない人が自分を責める世の中なんて狂ってると思いますが、当時はそこまで狂ってると受け止められていなかった気がします。
何が正解で何が不正解か、なんてことすらあるのかないのかわからないですが、
できるだけ耳目に入ってくる情報を整列、分類したり統合したりさせて、ゆっくり処理していかないといけないなあと思っています。そうするのには、流入してくる情報に即時反応しない図太い神経が必要になると思われますが、そこが修行のしどころですね。
個人的には、この図太い神経を養うのに、(無意識に)やってきたのが以下のようなことです笑
「別時代の人間であると想定する」狂言をやっている時に、室町の市井の人々になりきるのが面白かったので、以来何かあると室町を基準に考えてみることにしています。当時も疫病はやったり飢饉に地震に戦乱に、大変でしたでしょう。
京都人ネタでよく言われる、先の戦争は応仁の乱、的な発想です。
「映画をたくさんみて、現実とファンタジーと行ったり来たりする」もちろん映像の中はファンタジーですが、現実も結構ファンタジックに捉えた方が楽な時があります。危ないと思う人もいますが、私は行ったり来たりしすぎたせいか、今のところ弊害ありません笑
「昔の人の書いた本を読む」別時代人になりきるのと同じですが、紀元前後に書かれた本などを、当時を最大限想像しながら文字を追ったりしていると、現代を客観的に見やすくなる気がします。ちょっと前は明治時代の本も大好きでした。旧字体の文章読んでるだけで心が安らいだり。
「ここでないどこかに心だけでも行く」時々グーグルストリートビューで、世界の果てとか裏側に行っています笑 昔は旅行記をよく読みました。
「人間と距離を置いている自然に親しむ」上記の通りです。
個人的体験であり、エビデンスとしてはn=1のデザインなき残念な研究ですが笑
自分はバブル期の狂騒以来、このやり方で生き抜いてきたと振り返っています。
とにもかくにも、なかなか狂気じみた現実が目の前にあるので、スルー力養成が必須ですね。すでに上手にスルーできている人も多数おられるとお見受けしますが、私は未熟者なので、日々脳内鍛錬しております。