この歳になるまで剪定の何たるかも知らんかったんかい!…とツッコミたくもなりますが、
あえて今までこの感動を味わうことなく生きてこられて、もはや感動することも減ってきたこの歳で、「おお」と思わせてもらえるってのは、
なんとも嬉しくありがたい限りです。
とっといてよかったです。
最近、「お目出度い」とか「都合よく解釈して喜ぶ」とかが、いかばかり健康によいかということを我が身で実証実験中のなのですが、これも良い「目出度いネタ」になります。
わおぅ、芽出たい、こりゃ目出度い、ってことで…
東洋医学に触れる中で一番いいなあと思うことは、感動が多いことです。
自然のあり方に沿う形でコトが運ぶと、おおっ、と思うような展開になったりすることをちょくちょく体験できます。
おそらく、人間か人間以外かを問わず、自然相手の仕事をしている人は多かれ少なかれ体験しうることなんだろうと思います。
どうも大事なのは、自然の摂理を朗らかに穏やかに受理することのようです。
(そんな日本語の使い方あるかしらん??)
古くても良いものは良いし、がしかし古いところからまた新しいものが生まれ出て次の素晴らしさを見せてくれたりもするし、時々は思い切って古い部分をチョキチョキすることも必要。風通しとか流れを阻害しないこと、望まぬ方への無理矢理さを諦めること。
「調理」という言葉は通常お料理用に使われますが、キッチン以外でも大活躍、ことわりを整えることでいろいろうまくいくようなのです。
自分自身がそうだったので痛切に感じるのですが、最初っから「ことわりを整える」となると、なんかツマンナイと思っちゃうのですよねえ。あれこれやってみたい、限界に挑戦したい、そんなんじゃまだまだだ!こうしたらうまくいくのかもしれない!って感じで。それはそれで、面白いんですよね。なので、いろいろやるのがいいと思います。
(木を伸ばし放題にしてみるとか)やってみたいときはやってみる、(剪定して流れをつくるとか)理に沿うことでうまくいくフェーズであれば、おお、これもまた良しであるな、と感慨に耽るとか。
ただ、幸か不幸か人生は有限なので、同じことばかりで飽きたな、とかエンドレスループ状態だな、って時には、ちょっと剪定してみるべしなのかもしれません。
何が言いたいかというと、新芽が可愛い、ということでした。
これらを愛でつつ夏を乗り切りたいと思います!