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月日

という5周年の文章を、本来4月に書くつもりだったのですが、大幅にのんびりしていまして今日になりました。

 

とはいえ実のところは全然のんびりしていたわけではなく、人前で話をするという苦手な課題がたまたま複数重なり、七転八倒していたらかく相成ったわけでございます。

 

五十にして天命は何となく見えてきているのですが、四十以来取り組んでいる、「惑わず」の方がなかなか難易度が高く、惑いまくりです。つい先日までも準備のためにPCに向かってあーでもないこーでもないを延々とやってました。

 

今日まさに一番の懸案だった一仕事を終えたので、かなり楽になりました。

 

そんな中で、人とのつながりの有り難さも感じることがたくさんありました。たくさん、なんて言葉では浅く感じるぐらいに。

 

研修医の頃に初めて大きめの学会に参加した時のことを未だ覚えていて、とにかく人がたくさんいて圧倒されて、直の上司が喧嘩上等な方だったので、以降ついバトルフィールドというイメージが消えず、ついつい多くの敵と孤独な自分、の構図に落とし込みがちでした。

 

それが、この歳になってよくよくみてみると、どちらかというと多数のご縁を繋ぐ場であり、こちらが敵意を持たなければ相手も敵意を持たない平和な世界、むしろ多数のつながりで構成されたふんわりした幸せな世界。その中の点でしかない自分だけど、何せふんわりしているから幸せ。あちこちに線があるし、線に乗っておくこともできるし、点でいることも楽しめる。

 

 

今回の場合は数千人規模の学会の話ですが、おそらく他と自分とをつい分けてしまう場面全てに共通した話なのではないかなと。

 

私の心理の先生(ほぼ私淑ですが)の教えで、意識的にいろいろ考えるのでなくて、あれもこれも無意識に任せてしまいましょう、そうすると勝手に上手くいきます、というのがあります。

いやそんなわけなかろうて、と思うこともかつてはあったのですが、

ここのところ多忙すぎてまじめにやると脳がパンクするので、ほぼ無意識自動運転モードで過ごしていました。

ここ数日はその結果を痛感するしかないことがたくさん起きました。

 

長くなるので一つだけ例を挙げますと、緊張しながら会場に向かう道のりでふとスマホを見ると、普段使っていない音楽アプリが勝手に立ち上がっていて、出てきてた曲、というかPVが”Nobody's Perfect"でした。知る人ぞ知る、鳴海荘吉さんの曲なのですがタイムリーすぎて笑いました。仮面ライダーに励まされました。

 

そんなわけでまだ私のように惑い中の皆様、どうも、何事も淡々と無意識にまかせてやるのが体にも心にも人生にも一番のようです。

だいぶんの遠回りと、多くの痛い思いをして学びました。10代の頃から周りの人に先んずるように心身の不調と共に生きてきましたが、そのおかげで見えたもの、得られたものがたくさんあります。

これを体調不良で困っている人に還元していくのが天命であるのだろうなと思っています。

 

東洋医学も究極的には淡々無意識を目指しているのではないかなと想像しているのですが、まだまだ見えていない部分もあると思うので今後もぼちぼち精進していこうと思います。