こちらは、お笑い要素を多分に含んだ、いやそれどころか最初から最後までふざけ調子で書いてるカジュアル版自己紹介です。
おふざけをするような医師を許容できる心の広さをお持ちで、かつ長文を読むのが苦でない方向けです。
ちゃんとした自己紹介はこちらです。
みなさまこんにちは、毎度ばかばかしい話を…
(で始まる落語にハマったのは小学校4年生の時でした。)
大学では6年間、能楽部の中にありました狂言会というサークルで、狂言をやっておりました。
ご存知ない方のために念のため、狂言というのは、幽玄の美を演じる能の合間に、ひたすら笑いを提供する、なんと言いましょうか、おふざけ担当MC要員のような存在です。
その他、子供の頃から替え歌やものまねが大好きで、今もお笑いやお笑い要素の強い芸能も大好きです。
そんな人間ですので、診療の中でも可能であれば笑いの要素を入れるようにはしていますが、
患者さんの状態次第というところもありますし、職業上あまりふざけているように見えるのも問題ですので、基本封印しています。
古くからの友人や、長く診させていただいている患者さんの一部はよくご存知かと思いますが、堅苦しくて形式張ったのは苦手です。
このHPも自作したのですが、なんとかふざけた文章を書かずに体裁を整えるのに、かなり神経と自制心とを要しました。
(その努力をこのページでぶち壊そうとしているわけですが…)
医師の世界では、重厚な感じとか権威とかも重要な要素です。神社仏閣が掘建小屋ではなんとなくご利益なさそうに見えるのと同じです。そんな医療の世界で、こういったお笑い担当要員はわりと生き辛かったです…(権威感ゼロで今に至ります)が、もうそこそこいい齢になりましたし、そろそろ自分の本来の姿を表看板に出して良いかなと(ちょっとだけ)思えるようになりました。ただ、まだこのページをトップに載せるほどの全開放に至っていないので、悟りきってはいないと思われます。
狂言にハマる前、高校生の間は、ラグビー部のマネージャーをやっていました。よくご存知ない方からは、「部活の花」的なイメージをされるのですが、少なくとも私のやっていたマネージャー業は、巨大ヤカン運びにバケツ運びにけが人発生していないか監視するため炎天下や極寒の中のグラウンド立ちっぱなし、OBや他校との連絡等々、重労働?や事務作業が主で、地味な裏方業そのものでした。花は花でもオオバコみたいな?? ラグビー部時代に教わった体育会系精神やAll for one One for all 精神は無駄ではなく、その後総合病院での超多忙産婦人科時代にメンタルを保つのにとても役に立ったと思っています。また、その時の仲間とのつながりも人生の大きな宝物です。
今言及しました超多忙産婦人科時代がどんな様子だったかは、ドラマ「コウノトリ」もしくはその原作漫画をご覧になれば想像していただけるかと思います。詳細は略させていただきます。
5年間、産科救急、ターミナルケアまでのがん治療を含む産婦人科経験を積みました。
もともとそこまで体力ない(そうは見えないとさんざん言われてきましたが)ところに、子育てのかたわら睡眠時間を削って働いていたら、一度30代前半で大きめの病気をしました。ここから、自分の働き方を大きくシフトせざるを得なくなりました。不可抗力的な挫折であり、とにかく根性と努力となけなしの体力で乗り切ってきた人間が、意思の強さだけではどうにもならない、そんな自分の無力さと向き合わざるを得ない体験でした。
「転んでもタダでは起きない」という大阪育ちらしい座右の銘にもとづき、病気から回復し次第、かねてから興味があった漢方の勉強を始めました。仕事をセーブしていたことと、健康の大事さに気づいたことから、勉強のモティベーションが高く保てました。
そこから今に至るまで、「24時間働くタイプの医療での役立ち方はできないけれど、通常医療ではカバーしきれない部分を自分がやって、多少なりともこの世界に入ったものとしての役割を果たす」という気持ちで、勉強や診療を続けてきました。
働きすぎ、努力しすぎからの病気、世の中の期待に応えられない辛さ、子育ての大変さ、家族関係の大変さ、仕事場でのしんどさ、個性の偏りからくる苦労、おかげさまでいろいろ経験することができました。
また、その一方で自分一人の経験からモノをいうのもよくないことも学びました。仕事上ももちろんですし、男子三人の子育ての中でもさんざん痛感いたしました。
個人個人、見ている世界も体験している世界も違います。自分の経験だけを根拠に人に何かを押し付けるのはいけません。一人一人の内面から変わっていかない限り、治療につながる変化はこないことも実感しました。
医師として診療にあたるにおいては、そこは日々自重しています。
このたびクリニックを作るというのは、職業人生最後で最大の賭けかなと思っています。少し前までの自分は「そんなの無理」と思っていました。その後いろいろと信じられないような出来事が重なり、なりゆきで今のような展開になっています。自分で場をつくることの重大さに不安を感じるたびに、いやいや、人生はそもやそも夢幻ですからね、と自分に言い聞かせている次第です。
こういった医師によるクリニックです。最先端の医療は導入しておりませんし、黙って座ればピタリと当たる診断も下せませんが(さすがにお話ぐらいはしてもらわないと難しい)日々努力を怠らず誠心誠意やっていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
戸城えりこ 2019年1月記